誰もが手の届く自然素材と省エネの家 2025/夏NLより

昨年、読めなかった本を4月から読み始めることに!
哲学の本「暇と退屈の倫理学」は2~3年前に購入していましたが…。
難しくて、5~6ページ読むと眠気が襲ってきて…その繰り返しで読み進めることが出来ずにいました。
夜だから眠くなるので、朝に読んでみよう!ということで声を出して約1時間読むことを決めたのです。約400ページもある本を毎日約30ページ、二日続けて同じ所を音読しています。2回読むことでより理解が進むかと思っていましたが…。
哲学の部分は何となくわかった…というレベルですが、事例としてあげる部分に興味が沸き、本を読み終えることが出来ました。
その中でも遊動生活から定住生活への事例が目に留まり、興味を持ったところを少し紹介します。

どうして遊動生活から定住生活に変わったのか?
今から約1万2千年前、人間は定住生活に変わりました。
日本だけでなく、世界的に中緯度帯で起きた現象です。背景としては氷河期から後氷河期にかけて起こった気候変動と、それに伴う動植物環境の変化があるそうです。
人類がもともと暮らしていた熱帯環境を出て、中緯度帯へ進出したのは、およそ50万年前と考えられます。中緯度帯は、当時寒冷であったため、草原や疎林が広がり開けた環境で視界がきき、槍をもってウマ、ウシ、マンモス等の狩りで生活が出来ていましたが、氷河期が終わり、温暖化が進み、森林が拡大していきます。

森林では百メートル先の獣を見つけることが出来ず…大型獣から小さな獣へ、槍も使えなくなり、手に入る肉は少なくなり、植物性食料か魚類への依存が大きくなります。冬場の水域での活動は困難で、貯蔵が必要になり、移動を妨げ定住を余儀なくされた…。ということです。
1万2千年前のイメージは難かしいですが、こう考えるとそんなに遠くない昔と思えるようになり、この部分にも興味が沸きました。祖父母、父母、自分、子、1代を20年と考えると5代で100年になります。100年が10セットで1000年、それが10セットで1万年となると考えると…身近に感じられ、な~んだ1万年前も最近だな~と思ってしまいます。こんな考えも本から教わり、面白いところです。
遊動生活は、移動のたびに新しい環境に適応しなければなりません。五感を研ぎ澄まし、周囲を探索し、食べ物、水、危険な獣はどこにいるか、寝る場所を常に考えなければなりません。暇がないのですが充実した生活と言えるでしょう。
定住生活は、毎日、毎年、同じことが続き、目の前には同じ風景が広がっています。自分の肉体的、心理的な能力を発揮することが出来ないのです。遊動生活と比べると退屈と言えるでしょう。

それでは現代の生活はどうでしょうか?家をつくる時には「居心地のいい家」を求めるのはなぜでしょうか?遊動生活の方が身体が疲れるのでほっとする空間が欲しいはずで、定住生活は退屈なので、そんな居心地など気にしなくてもいいのではないかと思ってしまいますが…と考えてしまいました。
定住者が見る変わらぬ風景は、感覚を刺激する力を次第に失っていき、優れた探査能力を発揮する場面を失っていきます。行き場をなくした己の探査能力を集中させ、大脳に適度な負荷をもたらす別な場面を求めるようになり、それが宗教、工芸技術、農業、政治経済、芸能、各仕事などを発展させてきたのかもしれません。
そこで家には「居心地のいい」を求めるようになった!という私の仮説です。

お伊勢参りも…
コロナ禍前に行く予定にしていましたが、6月にやっと伊勢に行くことが出来ました。いつも土の神にお世話になっているし…。持統天皇から式年遷宮をしている外宮、内宮を見て見たかったのです。どこかへ行きたい、旅行したい!と思うのは遊動生活の名残り、体内DNAとして人間は持っているようです。一つのところに固定しないで、いろんなものを見て、食べて、体験することは現代の遊動生活なのでしょう。
遊動生活は常に刺激的です。ゆえにいろんなことを学習しながら「生きる」ことを自然に促しているのでしょう。旅行して感じた次第です。

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