11NLより  本「一汁一菜でよいという提案 土井善晴 著」

いつもニュースレターを読んでいただき、ありがとうございます。

11月になり、すっかり涼しくなりましたが、みなさんいかがお過ごしですか。

暑かった7・8・9月は、まったく走れませんでしたが、やっと走れるようになりました。

走っても1週間に3~5kmですが…それでも体に負荷がかかっていることを感じます。

筋肉痛がありますが、睡眠の質はよくなり気持ちよさを実感しています。

大会を目標にはしていますが…無理をせず出来るだけ長く、時間を気にしないでランニングが出来ればと思っています。(このペースだと2年は無理です)

最近、将来自分のスケジュールを考えています。

いつまで働くのか?引退したら何をするのか?でも、長く仕事をするには…。

最初に決めておかないと動けないタイプなので仕事の息抜きの時に、家づくりのプランをするようにいろいろ考えています。

まるっきり仕事から離れ引退した場合、食事は自分で準備…。

昼は外食で肉系の物を食べることにしよう!では、朝と夜は何がいいのだろうか?

出来るだけシンプルで、時短で、栄養価があるもの、飽きない物は…。

そんな時、「一汁一菜でよいという提案 土井善晴 著」という本を見つけました。

一汁一菜にはいろんな種類があり、昨日の残り物を味噌汁に入れてもOK、まずくてもOK、何を入れてもOKで、おなじ味噌汁ができないぐらいがちょうどいいとか…これだ!

一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)です。その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型で、ただの「和食献立のすすめ」ではありませんでした。

土井さんは一汁一菜を「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと言っていましたが…家づくりの思想と同じで、この本を読んでいると感心する事ばかりでした。

例えば、日本には「ハレ」と「ケ」という概念があります。ハレは特別な状態、祭り事。

ケは日常です。日常の家庭料理は、ケの食事になります。手間を掛けなくていいのです。

両者の違いは「神様のために作る料理」と「人間のために作る料理」という区別になり、考え方もつくり方も正反対になります。

ハレの祭り事とは、神様にお祈りして願い、感謝することです。神様に自然の恵みを頂戴してお礼をするために、神様が食べるお料理を作るのです。ケの食事のように素材を生かすというよりも、人間が知恵を絞って様々に工夫して時間を惜しまず、手間を惜しまず、彩り良く美しく作ります。そうして人間が神様のために作ったお料理を神様にお供えした後でいただき、一緒に食べて楽しむ日とするのです。

だから「時短おせち」などは絶対ない!と言っています。

手を掛けるものと、手を掛けないものという二つの価値観があり、けじめをつけ、区別し、場によって使い分けするところに、それぞれの合理性があると言っています。

最近の日本は…ごちゃごちゃになって混乱していると…ハレの価値感をケの食卓に持ち込んで毎日の献立に悩んでいることを憂いていました…。

職業柄、家づくりにあてはめて考えてしまいました。

毎日暮らす家は「ケ」です。

無駄のものは省き(シンプル)、必要なものは足し(耐震性、断熱性、耐久性)、特別豪華な仕様・空間は必要ないのです。

暮らしにおいて大切なことは…

自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってきて、生活のリズムを整えることです。

「食」も「住」も同じ考え方で、大変参考になりました。

この本の最初のページに素敵な言葉が書かれています。

一番大切なのは、一生懸命、生活すること。

一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、

純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです。

一覧へ